<p>人類学を基礎に置きつつ、以下のような問いを立てています。</p> <p><span style="text-decoration:underline;">1) プロサッカー指導者のキャリア形成の道程について:資本主義、価値、時間</span></p> <p>ヨーロッパのサッカー界におけるプロサッカー指導者たちが描いているキャリアについて関心を寄せています。とくに、1995年の欧州司法裁判所におけるいわゆるボスマン判決以降、汎ヨーロッパ的な労働市場が実質的に成立しているいま、選手のみならず指導者たちも流動的な雇用状態にあるなかで、彼らがいかに過去の経験をリソースとして活用・認識しているか、それをいかに価値づけて自らの指導者としての価値として認識しているか、また(不安定にみえる)将来のキャリアをいかに想像しているかを明らかにしようとしています。これにより、以下のような点に貢献しうると考えられます:</p> <p>a) しばしば指摘されてきた、近代スポーツの資本主義体制との根源的な連関がより明確になる。</p> <p>b) 選手(のセカンドキャリアや転身など)を対象として論じられがちだったキャリアの問題が指導者へと拡張される。</p> <p>c) しばしば資本主義の周縁や外部に生きる人びとに焦点を当ててきた人類学における価値論に関して、資本主義の範例的な事象でもあるプロサッカーを事例に、焦点を移動した事例と考察を提供する。</p> <p>d) 過去の経験を当事者がいかに認識し、予測困難な未来を想像するかについて、人類学の時間論をより深めることができる。</p> <p><span style="text-decoration:underline;">2) 「存在論的転回」の学説史的研究: パースペクティヴィズムとその手前</span></p> <p>ヴィヴェイロス・デ・カストロがパースペクティヴィズムとして洗練させる以前に打ち捨てられたものはなにかを検討する作業を進めています。そこで着目しているのは、a) タニア・ストルゼ・リマによる〈一〉でも〈多〉でもないところにある「分身doble」の議論と、その背景に示唆されるピエール・クラストルの影響。b) ヴィヴェイロス・デ・カストロが示唆した「概念の人類学」における「翻訳」の議論に着目し、フィールドにおいて生起する現象と人類学者の理論・概念との関係について、「文化の翻訳」を背景としたときにいかなる実質的な意義をもちうるのかといった問題に関心を寄せています。</p> <p><span style="text-decoration:underline;">3) サッカーのトレーニングを通じた戦術的組織化の過程</span></p> <p>身体的存在者としての人が、いかに社会的な集合、小さな共同性を構成するのか。またその共同性の構成過程でどのようなミクロな相互作用が存在者間でなされているのか。さらに、その構成過程において、人にいかなる(存在論的な)変容が訪れているのか、といったものです。このような原理的な関心から派生して、以下の個別的な問いにこれまで取り組み、また今後取り組もうとしています。これについて、博士論文をもとにした単著の出版を準備中です。</p> <p> </p> |